「規格外」のホタテを見て、
少しだけ考え方が変わった。
北海道・オホーツクから届いたホタテの貝柱。氷の上に並べてみると、ひとつひとつの大きさや形が少しずつ違う。けれど「規格外」とは思えないほど、大きく肉厚な身だった。
「規格外」と聞くと、味まで悪いと思ってしまう
スーパーなどで商品を選ぶとき、形がきれいにそろっているものを見ると、なんとなく安心します。大きさがそろっている。色がそろっている。見た目が整っている。反対に、「訳あり」「規格外」と書いてあると、少しだけ身構える。
でも、考えてみれば不思議です。形が違うことと、味が違うことは、本当に同じなのでしょうか。
自然の中で育つホタテが、すべて同じ大きさ、同じ形になるわけではありません。それでも私たちが店頭で目にするものは、一定の基準に沿って選別され、きれいにそろえられている。
つまり「規格外」というのは、「おいしくない」という意味ではなく、「決められた基準から外れている」ということなのです。
殻を開いてみると、そこにあったのは「規格外」ではなかった
実際に貝柱を見てみる。外から見れば、少し不揃い。でも、肉厚な身がしっかりと詰まっている。大きな貝柱もあれば、形の少し変わったものもある。
けれど、それぞれを見ていると、「きれいにそろっていること」と「おいしそうであること」は、必ずしも同じではないのだと気づきます。むしろ、不揃いなものを眺めていると、海の中で育つ生き物らしささえ感じる。工場で同じ型から作られたものではない。ひとつひとつが、海の中で育ってきたものなのだ。
オホーツクのホタテを知ると、味の見え方も変わってくる
このホタテが育ったのは、北海道・オホーツク海。ここで忘れたくないのが、冬のオホーツクを象徴する「流氷」です。白く広がる流氷は、観光地として知られる美しい風景でもあります。でも、海の中では、それだけではありません。
流氷がもたらす環境の変化や、海に供給される栄養。そこで育つプランクトン。そして、冷たい海。そうした自然の循環の中で、ホタテは時間をかけて育っていきます。
私たちが皿の上で見るのは、一粒の貝柱。けれど、その一粒をたどっていくと、オホーツクの海があり、流氷があり、プランクトンがあり、長い時間をかけて育つ時の流れがある。そう考えると、「北海道産ホタテ」という表示の意味も、少し違って見えてきます。産地とは、住所のように書かれた地名ではない。その味が生まれるまでの環境そのものなのかもしれません。
「規格外品ホタテ」の味わいはいかほどに?
栄養たっぷりなオホーツク海で育ったホタテだから、まずはシンプルに食べてみたい。
解凍して、水気を軽く拭く。あとは塩か、醤油を少し。薄く切ってしまうより、肉厚な貝柱をそのまま味わうのがおすすめ。
口に入れたときの食感。噛んだときに広がる甘み。その味を確かめながら食べていると、「規格外」という最初の印象が、いつの間にか消えていきます。
焼けば、また別の顔になる
もちろん、刺身だけではありません。厚みのある貝柱なら、バター醤油でさっと焼くのもいい。
表面に焼き色をつけると、バターの香りと醤油の香ばしさが立ち上がる。刺身では感じた甘みが、今度は焼くことでまた違った表情になる。カルパッチョにしてもいい。手巻き寿司にしてもいい。「今日はどう食べようか」と考える時間まで含めて、冷凍庫にホタテがある楽しさなのだと思います。
私たちは、いつから「きれいなもの」を良いものだと思うようになったのだろう
ホタテを見ていて、少し大げさかもしれないけれど、そんなことまで考えてしまいました。野菜も、果物も、魚介も。形がそろっているものほど、売り場では扱いやすい。もちろん、それは悪いことではありません。でも、そこでこぼれてしまうものの中には、味とは関係のない理由で選ばれなかったものもある。
「規格外」という言葉は便利です。ひとことで説明できるから。けれど、その三文字だけでは、そのものが持っている価値までは分からない。どんな場所で育ったのか。どんな時間を過ごしたのか。どんな味がするのか。それは、実際に見て、食べてみなければ分からない。
オホーツクの海から届いた、一粒の貝柱
今回のホタテを見て、最初に思ったのは、「規格外なのに、立派だな」ということでした。でも、食べ終わったあとに残ったのは、その驚きだけではありません。「規格」というものさしから少し離れて、ものを見ること。その背景にある土地まで想像してみること。そして、見た目だけでは分からない価値が、身近な食卓にもあること。そんなことを考えさせられました。
氷の上に並ぶ、不揃いな貝柱。ひとつひとつの形は違っても、その向こうには同じオホーツクの海があります。
北海道・オホーツク海産のホタテは、そんな小さな発見を、食卓まで運んできてくれるのかもしれません。
写真でめくる、この物語
2つの楽しみ方







